あるところに商人がいました。
商人ははたけサクモといって、息子のカカシと後添いのオロチマとその間にできたミツキと、四人で村の小さな家で暮らしていました。
サクモは昔は立派なお屋敷に住む豪商だったのですが、取引に失敗したあとはどんどんお金が無くなってしまい、お屋敷を手放して都会からこの村へ逃げるように引っ越してきたのです。

カカシは前の妻との間にできた子なので、もうたいそう大きく、王国の軍隊に入って普段は城下町に住んでいました。
ただ、演習で新人の部下を庇って腕に怪我をしてしまい、ちょうどいいので今日は早めのクリスマス休暇を取って、家族の元へ帰ってきたのです。

「ただいま~……あれ、オロチママ、父さんは?」
「あらカカシ、こんな時期に帰るなんてどうしたの? サクモさんは新しい取引のために街へ行ったわよ。すれ違いだったのね」

出迎えたオロチママが言いました。
オロチマははたけ家に嫁いできた時、まだ子供だったカカシに「今日から私があなたのママよ。私のことをオロチママと呼びなさい」と言ったので、カカシは今でもそう呼ぶのです。

「そっか……じゃあ街で合流すれば手伝えたのにね」

と呟いてると、ミツキが「おかえりなさい、カカシ兄さま!」と奥から飛び出してきました。
ミツキはオロチママにもサクモにも似ておらず、色白な肌だけがはたけ家の子供といえるところでした。でも腹違いの兄をとても慕っていて、カカシが家に帰る度にこうして嬉しそうにするのです。

「ただいまミツキ、元気にしてたか? あぁ、おまえにお土産があるんだよ」

そう言ってカカシは背嚢から綺麗な装丁の図鑑を取り出しました。

「ちょっと早いけど、クリスマスプレゼントだよ。気に入るといいんだけど」
「わぁ、すごい綺麗な図鑑……ありがとうカカシ兄さま!」

カカシはオロチママには銀細工のブローチをプレゼントしました。サクモにも鹿革の手袋を用意したのですが、仕事でいないのなら仕方がありません。カカシは夕食の支度を手伝いながら、三人でサクモを待つことにしました。

その日の夜、三人が先に夕食を済ませていると、サクモが蒼白な顔で帰ってきました。
サクモはよろけながら倒れこむように椅子に座ると、「あぁ、どうしよう…!」と頭を抱えました。
オロチママが気付けにブドウ酒を手渡すと、一息に飲み干してから、やっとカカシがいることに気づきました。

「カカシ! 帰ってたのか……あぁ、私はどうしたらいいんだ」

カカシがなんとか励まして聞き出したのは、その場にいる全員が驚くような、不思議で恐ろしいことだったのです。



サクモは今度こそ商売を成功させようと、なけなしのお金で仕入れた商品を街に受け取りに行ったのでした。ところが品は届いておらず、取引したはずの相手は街から消え失せていました。サクモは騙されたのです。
傷心のまま空の荷台の馬車で村に帰ろうとすると、途中の森にさしかかった所で大雪になりました。
サクモが立ち往生して困っていると、突然目の前に灯りが現れ、馬が勝手にその灯りに導かれて進み始めました。しばらくして立派な門が見え、サクモがこれは有り難いと思っていると、門がひとりでに開いて馬車は中に入っていきます。そして重厚な扉の前でぴたりと止まりました。
サクモが馬車から降りてノックをすると、またしても扉がひとりでに開きました。
恐る恐る中に入ると、そこはとても立派なお屋敷の中だったのです。

「夜分に失礼だが、どなたかいませんか? 雪に降られて困っているのです。どうか一晩泊めてもらえないだろうか」

と声をかけても誰も出てきません。
すると奥の方からとてもいい匂いがしてきました。その匂いにつられて奥の部屋に進むと、なんとそこにはテーブルの上に、できたばかりのような湯気をあげたご馳走が並んでいたのです。
サクモは椅子にかけてしばらく屋敷の主人を待ちましたが、誰一人として出てきません。ご馳走は一人分だけだし、きっと人前に出るのを嫌がる内気な主人なのだろうと思い、サクモは勝手に食べ始めてしまいました。
ご馳走を食べ終わって暖まると、今度は眠くなってきました。ブドウ酒を飲んで気が大きくなったサクモは屋敷の中を歩き回り、ゲストルームらしき部屋を見つけると、ベッドに倒れこむように眠ってしまいました。

次の日の朝になっても、屋敷の人は誰も出てきません。
サクモはまた屋敷の中を歩き回り、置物や家具等を見て楽しみました。それらはみな派手ではなくともセンスの良い物ばかりで、商人の目でとても高価だと分かります。このような屋敷の主人とは、ぜひ美術品について語り合いたいものだと感心しながら、サクモは中庭に出ました。
するとそこにはびっくりするような光景が広がっていました。
広い中庭は噴水のある池を真ん中にして、右には冬の庭が、左には夏の庭があったのです。
サクモはこの不思議な庭で、噴水の前に立ってみました。うっかりオーバーを着てこなかったのですが、体の右半分は寒く、左半分は暑いという、なんともおかしな体験です。
ひとひらの蝶が夏から冬の庭に向かって横切っていくのを目で追うと、その先にとても珍しい花が咲いているのに気づきました。
青い薔薇です。
こんなにたくさん咲いているなら、一輪もらってもいいのではないかとサクモは思いました。あまりにも綺麗だったので、オロチマのプレゼントにしようと思ったのです。
てのひらほどもある薔薇を一輪、手折ったとたんに辺りが真っ暗になりました。そしてグオオオオと恐ろしい獣の咆哮が響いたと思うと、真後ろから低い声が聞こえました。

「私の大切な青い薔薇を盗んだな」

サクモが驚いてふりかえると、そこには獅子の頭に羊のようなツノを生やした魔獣が立っていました。
その魔獣は白いシャツに黒いスーツを着ているのですが、見える部分は全て真っ黒な毛に覆われていて、まるでサタンのようでした。
サクモは「おお、神よ……!」と膝を突いて赦しを乞いましたが、魔獣は冷たい目で見下ろすばかりです。

「大雪に困ってるのを哀れに思い助けてやったというのに、恩を仇で返すとはこのことだな。……お前には罰を与えよう。お前には子供がいるな? その子をここに連れてくるんだ。明日の夜までに」

そう言うと魔獣は消えてしまいました。
そしてサクモは恐ろしさのあまり、気を失ってしまったのです。
気づいた時には、分厚い毛皮のマントをかけられて横たわっていました。サクモはそのまま中庭から逃げ出し、馬車に乗って家に帰ってきたのです。



「まぁ、なんて恐ろしい! そんなひどいこと!」

そう言うとオロチママは誰にも渡さないとでもいうように、ミツキをぎゅうと抱きしめました。ミツキは真っ青になってかたかたと震えています。
サクモは苦しげな顔で二人を見つめて言いました。

「魔獣の屋敷には私が戻るよ。もともとは私が薔薇を盗もうとしたのが悪いんだからね。ただ、もう一度おまえたちに会っておきたかったんだよ。ちょうどカカシもいてくれて良かった……」
「屋敷には俺が行くよ」

サクモをじっと見て考えこんでいたカカシが言いました。
何を馬鹿な、やめて僕が行くからとみんなが口々に言うのを手で制すると、カカシはにっこり笑いました。

「子供なら俺でもいいでしょ? ちょっと大きいけど、父さんの子供には違いないんだからね。それにそんな魔獣がいるなら、王国軍の兵士として放っておけないよ。だいじょうぶ、俺はこう見えて火の国で一番の剣の使い手と言われてるんだよ。だから俺に任せて父さん」
「カカシ……」



次の日の夕方、二人は馬車に乗って魔獣の屋敷に到着しました。
当然のように扉がひとりでに開き、二人は屋敷の中に入っていきます。初めて屋敷に足を踏み入れたカカシは先に立ち、腰に着けた長剣に手をやりながら油断なく辺りを見回しました。
すると広間の真ん中の階段の上から、呆れたような声が降ってきました。

「やれやれ、あれだけ脅したのに……戻ってきてしまったんですか?」

階段をゆっくりと降りてきたのは、なるほどサクモの言った通りの姿をした、黒い獅子の頭にツノを生やした魔獣です。
カカシは剣に手をかけたまま答えました。

「子供を連れてこいって命じたのはアンタでしょ? ちょっと大きいけど俺がこの人の子供だよ。さあ、約束は守ったんだから、父はもう家に帰してくれ」

魔獣はカカシをまじまじと見ると、にっこり笑いました。
といっても魔獣の顔なので、大きく裂けた口からずらりと並んだ牙をむき出しにした、それは恐ろしい笑顔です。
そしてカカシの前に立つと、こう言いました。

「あんな風に言えば、二度とこの屋敷に近寄らないだろうと考えて言った言葉だったのですが……貴方のお父上は大変高潔な方ですね」
「ふざけるな!」

カカシは素早く剣を魔獣の頚に突き付けました。
だけど魔獣は微動だにしません。それどころかカカシをじいっと見つめているばかりです。
カカシもその目を逸らさず、負けずに見返しました。
すると魔獣の鼻筋を横切る傷痕まである恐ろしいはずの顔が、とても穏やかなことに気がつきました。黒いふたつの瞳が、理知的で慈愛に満ちた光を宿していることも。
カカシがその、夜の凪いだ海のような深い輝きに目を奪われていると、魔獣はハッと我に返ったように目を逸らしました。

「……貴方はとても強く、美しい方ですね。身も、心も。さあ、剣を引いて下さい。このような物では私は殺せないのです。私を本当に殺せるのは、絶望だけ……」

そして鋭い爪の生えた獣の手でそっと剣を押しやると、くるりと背を向けました。

「二人とも、もうお帰り下さい。そしてここには二度と来ないように。できれば誰にも言わないでもらえれば有り難いです。……それではごきげんよう」

カカシは思わず魔獣の腕を掴んで引き止めました。
魔獣があまりにも寂しそうで、なんだか放っておけなくなったのです。でも恐ろしい魔獣に対してのそんな感情がよく分からず、もっとその気持ちを確かめてみたくなったのでした。

「俺はもう少しここに残っていたい。アンタの正体も気になるしね」

魔獣は驚いたように振り返りました。
そしてカカシの本気の眼差しを見てとると、肩をすくめて苦笑したように見えました。

「構いませんよ。部屋は空いてる所をお好きに使って下さいね。あぁ、二階の東の一番奥は私で、南は他の者たちの部屋なので、そこ以外でお願いします。……それではどうぞごゆっくり」

――他の者たち?
魔獣は他にもたくさんいるんだろうか。

カカシがそれを訊ねようとすると、サクモがカカシの肩を掴みました。

「カカシ、お前はなんてことを……! 魔獣は帰っていいと言ったのだから、私と一緒に帰ろう!」

カカシはその手を優しく握ると、ポケットから鹿革の手袋を取り出し、サクモの手にはめてあげながら答えました。

「ちょっと早いけどさ、父さんにクリスマスプレゼント。帰りは寒いからね。……あのね、魔獣の正体を確かめるってさっきは言ったけど、アイツはそんな悪い奴じゃないと思うんだ。父さんが気絶した時、その分厚い毛皮のマントをかけてくれたのはアイツでしょ?」

動揺してたせいか気づきませんでしたが、サクモはあの時のマントを着て家に帰っていたのです。そして今も羽織っていることに魔獣も気づいたはずなのに、返せとも何も言いませんでした。
先ほどの二人とも帰れと言ったことといい、サクモを罰する云々の影に隠れた思いやりに気づいたカカシは、魔獣のことが気になっていたのでした。

「大丈夫だから俺を信じて。任せて父さん」

カカシは何度も振り返りながら馬車で帰るサクモを見送ると、屋敷の二階の部屋へ向かいました。
東の一番奥は魔獣の。南は他の誰かの部屋。
探索してみようかとも思いましたが、いろいろありすぎて疲れたので、今夜はもう眠ることにしました。カカシはちょっと考えると東の方向に向かい、魔獣の隣の部屋を選ぶとベッドにもぐりこみました。



「……なぁなぁ、コイツ、左目に傷痕があるぞ。腕にも怪我してるし弱ェんじゃないか?」
「しいいいいっ! そんな大きい声を出さないで。こいつが起きちゃう! それにしても男なのに本当に綺麗な顔ねぇ。お姫さまみたい!」
「おまえが一番うるさいぞサクラ」

顔の周りでなにやら騒いでる子供の声に、カカシはうっすらと目を開けました。
すると、自分をのぞきこんでる六つの目と目がバチっと合って、びっくりして飛び起きました。
その六つの目の持ち主たちはカカシの胸に乗っかってたので、みんなベッドの上に転がってしまいました。

「うわ、ごめん! って、君たちは何者……っていうか、何?」

ベッドのあちこちに転がってるのは、金色の体毛の小柄な猿と、耳の垂れたピンクのウサギと……
カカシの最後の一言は、その薄っぺらい紙に男の子の顔が描かれ、下の棒から細い手足の生えた物体に向けられたものでした。

「そいつはサスケってんだ。今はマヌケなうちわになってるけどさ。俺はナルト!」
「うちわ? サスケ? ナルト?」
「黙れウスラトンカチ! お前こそマヌケ面したバカ猿だろうが」
「なんだと!? やんのかテメェ!」
「あーもうケンカしないでうるさいから! 私はサクラよ。よろしくねビジョーブさん」
「サクラちゃんね、よろしく……ところでビジョーブって?」
「昨日イルカ先生がアンタのことをそう呼んでた。アンタの名前じゃないのか?」

イルカ先生? そんな人もいたのか。
でも会ってもないのに、ビジョーブなんて名乗った覚えも、ビジョーブの意味すら分からない。魔獣特有の人間の呼び方だろうか。
それよりも……

「あー、君たちは何者なのかな? 特にその、うちわ君?」
「うちわじゃないサスケだ」
「マヌケなうちわのサスケ君~!」
「黙れこのウスラトンカチが!」

そうやって取っ組みあいを始めた金色の猿とうちわは放っといて、カカシは一番まともそうなウサギに話しかけました。

「えーっと、で?」
「あのね、私たちは悪い魔女に姿を変えられたから、元は人間なのよね。みんな九尾の竜の災厄の時に親を亡くしちゃったんだけど、イルカ先生が拾って面倒みてくれてるの。先生もあんな姿をしてるけど、本当は……」
「朝食の時間にも来ないと思ったらおまえたち、こんな所にいたのか。こらナルト! サスケ! ケンカするな!」

大声で怒鳴りながら魔獣がカカシの部屋に入ってくると、猿とうちわにゴチン、ゴチンとげんこつを落としました。ナルトは頭を抱えてうずくまり、サスケはうちわの中で顔をしかめています。
あんなぺらぺらの紙にどうやってげんこつをしたんだろうとカカシが不思議がっていると、魔獣はカカシの方に向き直り「朝から騒がしくてすみません」と謝りました。
それにしても、子供たちを怒鳴りつけていたというのに、魔獣はちっとも恐ろしく見えません。朝の光の中だからでしょうか。どちらかというと子供を叱りつける母親のような雰囲気で、カカシはつい笑ってしまいました。
魔獣がきょとんとカカシを見るので、ますますおかしくなってしまいます。するとサクラがピョンと跳ねて魔獣の身体に飛び付き、「おはようございます、イルカ先生」と腕の中におさまりました。

「ねぇイルカ先生、この人本当に綺麗ね!」
「ええっ?! ああうん、サクラもそう思うか……そうだな、綺麗だな」
「……イルカ、先生?」

カカシが問いかけると、魔獣は照れくさそうに笑いました。

「この子たちには勉強や生活全般のことも教えてるので、先生と呼ばれてるんですよ。イルカは私の名です」
「…………はぁ、イルカ……さん」
「なぁ先生、ビジョーブはキレイだけど弱っちいぞ! 怪我だらけだもんな~!」
「こら! 失礼なことを言うなっ。この方はとてもお強いんだぞ」
「イルカ先生より強いのか?! 女みてぇな顔してるのに?」
「あのう……ビジョーブとは?」

ナルトとイルカのやり取りにカカシが割って入ると、なぜか魔獣――イルカは恥ずかしそうに目を逸らしました。

「それは、その……貴方がとても綺麗でお強いので、子供たちには美丈夫な方がしばらく滞在すると説明してしまったのです。貴方のお名前を聞き忘れたので」
「それは……どうも。俺はカカシといいます。はたけカカシ」
「カカシ、さん」

――ビジョーブとは、美丈夫のことだったのか。
イルカのストレートな誉め言葉に、カカシまで赤面してしまいました。
そんな二人の空気を全く読まずに、ナルトが割り込みました。

「なぁなぁイルカ先生、腹へったってばよ!」



みんなで揃ってサンルームで朝食をとると、みんなで揃って片付けをして、みんなで揃って図書室で勉強会をしました。一連の流れで、いつの間にかカカシまで参加することになってしまったのです。今日は読み書きの勉強でした。
子供たちに物語を写させている間に、イルカが訊ねてきました。

「カカシさんも何か子供たちに教えられることはありますか?」
「えーっと、火の国や近隣諸国の歴史とか情勢くらいかな。あとは武術……はムリか」
「そうですね、あの姿ではちょっと難しいでしょう」
「イルカ……先生も、元は人間だったの?」

カカシがずばりと聞くと、イルカは微笑みました。

「イルカでいいですよ。……ええ、そうです。私の両親は王国上級魔導士だったので、九尾の竜と戦って亡くなりました。そのあとはあの子たちを引き取って一緒に生活してたのですが……ある日突然蛇のような顔をした悪い魔女がやってきて、お前の無垢な涙をよこせと言ったのです。何か悪巧みをしてるんだろうと断ったら、腹いせにみんなこのような姿に変えられてしまいました」

カカシの思った通り、イルカは魔獣などではありませんでした。
ですが、見た目は魔獣そのものです。これでは生活していくのも大変でしょう。

「元に戻る方法はないの?」
「そうですね……あるにはあるんですが、この姿では無理でしょう。愛する者の口づけで戻るなんて……それはもういいのですが、あの子たちだけは戻してやりたい。なので両親の遺してくれた魔導書を読んで勉強中なんですよ」

そう言うとイルカはカカシの腕をとって、包帯を外しました。
そしてまだ血の滲む傷に手を当てると、カカシの中に何か温かいものが流れ込んできます。それは傷の部分でじんわりとどまると、ゆっくりカカシの中に広がっていきました。

「さぁ、これでよしと。私も多少の魔法の心得はあるので、ちょっとした治癒の術なら使えるんですよ」

傷の痛みは消え去り、カカシが腕を見ると傷痕さえ綺麗に無くなっていました。
こんな短時間でここまで綺麗に治癒できるとは、多少どころの腕前ではありません。カカシは驚きながら「ありがとう」とイルカに礼を言いました。
その時カカシは不思議なものを見ました。
イルカの魔獣の姿に一瞬、人の姿が重なって揺らいだのです。
カカシが瞬きをする間に消えたその人は、黒髪の若い男のようでした。

そうやってイルカと子供たちと過ごす日々はとても楽しく、あっという間にクリスマスも間近となりました。
カカシはみんなにもプレゼントを贈りたいと、街に買い物に出かけようと思いました。ですが、イルカには何か特別なものを贈りたいと考えて、今は亡き母から遺された銀の懐剣が家にあることを思い出しました。それは飾り懐剣で、柄頭に埋め込まれた大きな黒曜石がイルカの美しい黒い瞳に似ているので、ぜひともイルカに持ってもらいたいと思ったのです。
母には、いつかカカシの一番大切な人ができたら、この懐剣をあげなさいと言われていました。イルカは魔獣の姿をしてる上に恐らくは男ですが、イルカ以上にこの懐剣がふさわしい人は思い付けません。カカシはいつの間にか、あの恐ろしくも優しく美しい魔獣に、時折揺らいで重なる恐らくイルカの真の姿に、どうしようもなく惹かれていたのです。

それにうっかりしていましたが、父やオロチママ、ミツキも心配してることでしょう。
カカシは中庭の噴水の前にいたイルカに、一旦家に戻りたいと言いました。
するとイルカはその黒い目を翳らせて「それは構いませんが……」と言い淀みました。
きっと家に帰ったら、もうここへは戻らないとでも思っているのでしょう。
カカシはイルカの黒い毛に覆われた手をとって、安心させるようにそっと口づけました。

「すぐに戻るよ。イルカにもらってほしい物が家にあるんだよね。明日には必ずここに戻るから、待ってて」

イルカはハッと顔を上げましたがそれには答えず、切ない目で見送るだけでした。



カカシは屋敷の馬房に繋がれていた栗毛の馬に跨がると、一目散に家へと向かいました。
家には誰もおらず、みんな出かけたのだろうかと首をひねりながら自分の部屋に入りました。そして箪笥から懐剣の納められた天鵞絨の袋を取り出して、大切そうに懐にしまいました。
すると突然、部屋の扉がばたんと音を立てて閉まりました。
振り返ると、オロチママが見たこともないような険しい顔で立っています。
カカシが「どうしたのオロチママ、何かあったの?」と声をかけると、オロチママは太い杖を取り出して何か呪文のようなものを唱え、カカシの方に右手を突きつけました。
するとそこから蛇が飛び出し、カカシの首に巻きつきました。
そして蛇は太い鎖となり、オロチママが床に立てた杖にがっしりと繋がれてしまったのです。

「オロチママ、どうしたの?! なんでこんなこと……」
「あの屋敷に戻られたら困るのよ」

色白でたおやかだったオロチママは、今では蛇のような顔つきに変わっていました。
オロチママは、蛇使いの魔女だったのです。
イルカたちを魔獣に変えたのも、実はオロチママの仕業でした。その後サクモと出会い、その優しさに触れて改心し普通の人間のふりをして結婚したのですが、カカシがイルカから聞いた話で自分の正体がばれるのを恐れ、閉じ込めて記憶を消そうと決めたのでした。

「……おまえ、あの屋敷の魔獣と中庭の噴水の前で、誠実の誓いをしたね。その約束が破られると、あの男は絶望の果てに死ぬことになるのよ。だからおまえにはしばらくここにいてもらうわ」

誠実の誓い……カカシはオロチママの変貌に混乱しながらも思い出しました。
明日には必ず屋敷に戻るとイルカに言った約束のことでしょう。

「そんな……オロチママ、この鎖を外して! イルカが、イルカが! なんでこんなことをするんだ!」
「カカシ、おまえのことは大切な子供だと思っているわ。だからこそ、こうするしかないのよ」

オロチママは哀しそうにそう言うと、記憶を消す魔法の準備のため部屋を出ていきました。
カカシがどんなに叫んでも、誰も部屋には来ません。ミツキとサクモは、カカシがこの部屋にいることに気づかないのでしょうか。
鎖はとても頑丈で懐剣を使っても傷ひとつ付かず、床に立てた杖を引っ張っても蹴ってもびくともしません。窓を割って助けを求めようと椅子を投げつけたのに、壊れたのは椅子の方でした。もしかしたら、この部屋自体に何か魔法をかけてあるのかもしれません。
こうしてる間にもイルカはカカシの帰りを待って、明日の夜が過ぎたら、果たされない約束に絶望して死んでしまうのです。
知らなかったとはいえ、カカシが気軽に約束をしてしまったばっかりに。

「イルカ……あぁ、イルカ……」

カカシは絶望のあまり、床にうずくまってしまいました。

どれだけの時間を、そうやって過ごしていたのでしょうか。窓の外はすっかり明るくなっていました。
こうなったらオロチママが来た時に、隙を突いて逃げるしかありません。カカシはよけいな体力を使わないよう、じっと横たわっていました。
また夜がくると、扉の外でひそやかな足音がしました。
カカシが息を潜めて寝たふりをしてると、扉のすぐ外で聞こえてきたのはミツキの声だったのです。

「カカシ兄さま、あぁ、ごめんなさい母さまが……鎖の魔法を解く鍵を持ってきたから、これを使って」

そして扉の下の隙間から、一枚の紙がするりと入れられました。

「これを杖の頭にはめれば魔法は解けるから。……母さまがこんなことをしたのも、きっとこの家族でいたいからなんだ。どうか、母さまを赦してあげて……」
「うん……分かったよ。ありがとう、ミツキ」

イルカと一緒にいたいという想いを知った今では、オロチママの気持ちもカカシには分かるような気がしました。たとえ、やり方は間違っていようとも。
それより今は一刻も早く、イルカの元に帰らなくてはなりません。カカシがその紙を手にすると、紙は小さな卵のように形を変えました。それを杖の頭の窪みにはめると、鎖は蛇に戻って床に落ち、杖が倒れてカカシは自由になりました。
急いで部屋を飛び出すと、外にはもう誰もいませんでした。
――とにかく今は屋敷に、イルカの元に!
カカシは馬に飛び乗って駆け出しました。



屋敷に到着する頃には、辺りは明るくなりかけていました。
でも門をくぐると中は靄がかかったように薄暗くなっています。
カカシが馬から下りて「イルカ! どこにいるんだイルカ!」と叫びながら走ると、金色の猿が中庭の方から転がるように飛び出してきました。

「どこ行ってたんだよ! イルカ先生が、先生が噴水の前で倒れて動かないんだってばよ!」
「ごめん! ホントにごめん!」

カカシは泣きじゃくるナルトをすくいあげながら、中庭に向かって走りました。
すると噴水の手前でピンクのウサギがカカシに飛びついて、悲鳴のような声を上げました。

「イルカ先生が黒い霧に包まれて近寄れないのよ! どうしたらいいの!?」

ナルトとサクラを抱えてカカシが噴水の所に着くと、うちわが黒い霧を一生懸命あおいで飛ばそうとしていました。
カカシがその黒い霧に触れてみると、なぜか固くて動きません。そこでカカシは懐の懐剣を思い出しました。黒曜石には魔を祓う力だけではなく、後ろ向きな気持ちをも払いのけて希望を呼び込む力があると母から聞いていたのです。
カカシは諦めずにあおぎ続けるサスケを、「お願い、俺に任せて」とそっとどかしました。

「アンタなら助けられるっていうのか? イルカ先生を裏切ったくせにっ!」

サスケはちょうどカカシが約束していたところを見ていたのです。
サスケが食ってかかると、カカシは三人を順繰りに見て、それから黒い霧の中に語りかけました。

「遅くなってごめん。オロチママに閉じ込められてたんだけど、約束を破ったことに変わりはないよね。でも俺はどんなことがあっても、たとえどれだけ遅れても必ずここに、イルカの元に帰るよ。イルカが俺の居場所なんだ。お願い、俺を、俺の気持ちを信じて。そして俺の全てを受け取って……愛してるんだ、イルカ」

そして三人にもっと離れるように言うと、懐剣を大きく振り上げて黒い霧に叩きつけました。
すると黒い霧はぶわっと崩れ、辺りに広がると消えてしまったのです。
中には胸の上で手を組み、あお向けになって目を閉じたイルカがいました。

「イルカ……っ!」
「イルカ先生!」

口々に呼びかけながらみんなが駆け寄ると、イルカはゆっくりと目を開きました。

「ナルト、サスケ、サクラ……カカシさん」

カカシがイルカを抱き起こして、ぎゅうっと抱きしめました。
そこに子供たちも抱きついて、わんわん泣きじゃくります。

「みんな心配かけてごめんな。怖かったよな」

イルカが手を伸ばして三人の頭を順繰りに撫でました。
そしてカカシをそっと押しやると、微笑んでみせました。

「カカシさん、ご迷惑をおかけしてすみませんでした。でももう大丈夫なので、どうぞ貴方はお帰り下さいね。時々は子供たちに会いに来てくれると嬉しいですけど」
「ちょっと待って、イルカ……それは俺の気持ちは受け入れられないって……そういうことなの?」

するとイルカは子供たちの涙を拭いてやりながら答えました。

「カカシさんの気持ちは嬉しいです。でも貴方は強くて美しい立派な王国軍の兵士。そして美丈夫な……男です。このような魔獣の姿の私などを、どうやって愛し続けると言うのでしょう。どうかお願いです。このままお帰り下さい」
「俺がどんな人かなんてどうでもいい! イルカがどんな姿をしてたって! イルカは? 大事なのは、イルカが俺のことをどう思っているのかだけだ!」

イルカはカカシを真っ直ぐに見つめて、きっぱりと言いました。

「俺には、貴方と同じ気持ちはありません」

カカシは言葉をなくしてイルカを見つめました。力なく落としたカカシの手に、何か固い物が当たります。見下ろすとそれは母の形見の懐剣でした。せめてこれだけでも、とイルカに手渡そうとしたその時、イルカの手に気づきました。
――イルカの、右手だけが人間のものに戻っている手に。

「イルカ……俺と同じ気持ちがないなら、なんで手が戻ってるの?」

あの時、図書室でイルカは何と言ったでしょうか。
『愛する者の口づけで戻る』
確かにそう言っていたはずです。噴水の前でカカシがイルカの手に口づけた後、きっと手だけ戻っていたのでしょう。だったらイルカは、自分の気持ちにも気づいていたはずです。
それならば……。
カカシはイルカから子供たちを引きはがして、イルカの顔をしっかり掴んで逃げられないようにすると、心をこめて口づけをしました。何度も、何度も。

「ああっ、イルカ先生の顔が……!」
「イルカ先生に戻ってくわ!」

カカシが掴んでいた顔の黒い毛はみるみるうちに消えていき、中から現れたのは――カカシが魔獣の姿に重ねて何度も見かけた、あの黒く輝く瞳の青年の顔でした。
鼻筋を横切る傷痕はそのままに、イルカは真っ赤な顔で涙目になってカカシを見返しています。
カカシはもう一度、イルカに訊ねました。

「イルカ、今度こそ本当の気持ちを教えて」

イルカはぼろぼろと大粒の涙をこぼしながら答えました。

「カカシさん……私は、カカシさんを……愛してます」



イルカのぴったりと閉じられた部屋の前で、三人の子供たちがべったりと扉に張り付いています。
イルカが愛の告白をした後、カカシは再びイルカを抱きしめると、そのまま抱き上げて「おろして下さい!」と暴れるイルカを連れて部屋の中に閉じこもってしまったのです。
三人は慌てて追いかけて、イルカのことが心配で中の様子を盗み聞きしていたのでした。

「……なぁ、イルカ先生泣いてるってばよ! ホントに助けなくていいのか?」
「イルカ先生は嫌がってるけど気持ちい……嬉しくて、だから泣いてるんだからいいの!」
「えーっと、つまり……どういうことだってばよ?」
「お前にはムリだウスラトンカチ。とにかくイルカ先生は幸せだってことだから問題ない」
「そうよ、これ以上は盗み聞きしててもしょうがないわ。いつ終わるか分かんないし」
「もう行くぞ。これ以上は俺たちの教育に良くない」
「だからどういうことだってばよ~!」



ベッドの上では服を脱がされ、ほとんど人間の姿をしたイルカが、カカシのキスを身体中に受けていました。
カカシはイルカの足の指をしゃぶりながら、イルカのゆるく立ち上がった性器を親指で撫で上げました。

「あとはここだけだね」

イルカの身体の中心は、人にしては多すぎる黒い柔毛で覆われています。両手で顔を覆い隠したイルカは、「もういいです……! もう十分だからやめて」と懇願していましたが、カカシは全く聞き入れません。
今までも首筋から背中、両胸の飾りなど身体中をキスだけではなく執拗に愛撫されていたので、イルカは既に一度達してしまい、先端からはなおも透明な雫が溢れ続けていました。

「たとえこれが人に戻るための行為じゃなくても、俺はやめないよ。俺はイルカの全部を知りたいし、味わいたい」

そう言ってカカシは、イルカの薄く柔らかい毛に覆われた性器にキスをしました。するとそこからすうっと毛が消えていき、うっすらとピンクがかったイルカ自身が現れました。
カカシが舌を這わせるとそれはふるふると震えて、イルカが涙混じりの甘い啼き声を上げます。
でもカカシがしゃぶったり吸い上げたりしていると、イルカの腰が限界に震えながらも逃げようとしました。

「やだ、もう、やぁ……こわい! カカシさ、たすけて……っ」

初めての経験に、とうとう子供のように泣き出してしまったイルカに、カカシは困ったように顔を上げると身体を持ち上げてイルカを優しく抱きしめました。

「ごめん、焦って進めて怖かったよね。……でもね、俺も怖いよ。イルカを大事に愛したいけど、イルカが欲しくてたまらない。だけどこんなことして、イルカに嫌われたらどうしようって思うと、本当に怖い」

するとカカシの胸の中でしゃくり上げていたイルカが、泣き濡れた顔で見上げました。

「嫌いになんかならない。怖いけど、ちょっとびっくりしたけど……カカシさんのことは嫌いにはなりません! だから……やめないで」
「うん、ありがとう……でも今日はここまでにしておこうね。また明日にでも」
「いやです。俺だって、カカシさんのことが……」

そう言ってイルカは、ぶつかるようにキスをしました。
びっくりしたカカシは目を見開きましたが、イルカの健気な勇気に胸がいっぱいになりました。そしてその目にゆっくりと欲望の焔が満ちていき……

カカシはイルカの全てを知り、味わうことができたのです。
そしてイルカも、また。



イルカを胸に抱き込み、カカシが幸せにまどろんでいると、部屋の外でチカッ チカッと何かが光りました。
カカシはイルカを起こさないよう、そうっとベッドを出ると、窓の外をのぞいてみました。
するとそこには、大きなもみの木に飾られた星のオーナメントが、陽の光を受けて輝いていました。
もみの木をよく見ると、金色の髪をした男の子と、ピンクの髪をした女の子と……うちわに描かれていた顔をした男の子が、みんなで飾りつけをしていました。

「そういえば今日はクリスマスイヴでしたね」

シャツを羽織ったイルカが、よろよろとしながら隣に立ちました。それからハッと息を呑んで、「あの子たち……人に戻ってる!」と叫びました。
イルカが窓を開け「おおい、みんな戻ったのか!」と子供たちに呼びかけて手を振ると、三人が手を振り返しました。

「そうなんだ! イルカ先生が泣いてたのを聞いてからちょっとしたら、急にみんな戻ったってばよ!」

ナルトが満面の笑顔で答えると、サクラが「あっ、バカッ!」とナルトの頭を叩きました。
イルカがしばらくしてその意味に気づくと、「うわ、ええっ?!」と手をばたばたと振って倒れそうになったので、慌ててカカシが抱き止めました。
するとサスケが二人に呼びかけました。

「このツリーは、俺たちからのクリスマスプレゼントだ。カカシ、絶対にイルカ先生を泣かせるなよ」
「サスケ……ナルト、サクラ……!」

イルカがたちまち泣き出してしまったので、「テメェが泣かせてんじゃねぇか!」とナルトがサスケの頭を叩きました。
そしてまた二人のケンカが始まってしまったので、サクラが「ちょっと! まだ飾りつけは終わってないんだから、ケンカはあとにして!」と叱りつけます。
そんな三人の子供たちを眺めて、カカシはイルカに微笑みかけました。

「素敵なプレゼントだね……素敵な子供たちだ」

そして黒曜石の嵌め込まれた懐剣を床に落ちてた服から取り出すと、イルカに渡しました。

「俺からはこれを。亡くなった母が、大切な人にあげなさいって」

イルカの眼から、新たに涙が溢れました。

「そんな大切な物を……俺には何もあげられる物がないのに」

するとカカシはイルカを抱きしめ、キスをしました。

「もうもらったよ。俺の大切なイルカ」



こうして魔獣の姿をした青年は真実の愛を知り、人の姿を取り戻しました。
美丈夫な男は真実の愛を知り、魔獣だった青年と末長く幸せに暮らしたそうです。




【おしまい】


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